人生の棚卸

雑感

あっという間に50代も後半に突入し、一度自分の人生の棚卸をしてみたい。

中学生まで

小学生時代も中学生時代も結構荒れている学校だったので、基本的にいい思い出はない。ただ、中学3年生になると受験を意識したせいか多少は勉強に励んだのが良い思い出。

高校時代

中学時代は英語と数学が平均以上だったので、高校入学後も1年生までは割と成績は良かった気がする。但し、1年生の終わり頃から遊び癖がついてしまい成績は目も当てられないほど急降下。高校時代の一番の思い出は、私立であったため様々な地域の出身者がいたことと一生付き合える仲間に出会えたこと。

大学中退から20代まで

不勉強は相変わらずで3年も浪人させてもらったが、結局地方の私立大学に入学。特に大学に行くこともなく、3年在籍後に退学。地元に帰った後は税理士事務所に勤務しながら簿記学校へ通っていた。この時期に簿記の基本を学べたことは大いに意義があることだった。

人生で初めての転職経験

30代に周りの紹介で建設会社へ転職。税理士事務所時代は3人しかいなかったが、いきなり数十人に囲まれる環境になり息苦しさを感じた。税理士事務所は穏やかな雰囲気で事後報告などが普通だったので、すべてに書類で事前にお伺いをする手続きは苦痛だった。また残業がほとんどなかった前職と違い、企業の残業の多さにも驚いたし、職場の飲み会もはじめて経験した。
この時期に自分について気が付いた欠点が2点ある。まず、人との関りを苦痛に感じること。気が合う人とは口も軽くなるが、よく知らない人や苦手な人には極端に口が重くなる。次に、嫌な感情が顔に出やすいこと。この2つの欠点が後々組織で働くことに不利になる。後から聞いた話では、「不愛想」とか「話しかけにくい」と思われていたらしい。

大きなイベントが多かった40代

40代は結婚と親になったという意味で、一番大きな出来事があった。3年間の不妊治療もあったこともあり、無事に生まれてくれたときは本当に嬉しかった。
その一方で、職場環境は大きく変わり、嫌いだった人間が直の上司になったことは最悪だった。組織だからしょうがないと思いつつも、日々ストレスは溜まる一方で精神をやられてしまい半年以上の休職をすることに。そのときは配偶者に本当に心配をかけてしまった。その後は関連会社に出向となり、職場環境は改善したが昇給などは諦めざる得ない状況となった。
出向となり定時に帰れることが多くなったので時間を有効に使いたいと思い、いろいろと考えた結果、夜間主の大学(英文学系)に社会人枠で入学。動機としては、一度中退しているのでやり直したいことと20代の頃に海外の推理小説や英字新聞を原文で読みたいと思っていたので、その思いを実現したかった事。ただ、合格通知を受け取った時期に配偶者の妊娠と出向命令があったため、1年間の休学を経て通学することに。この時も、配偶者に子育ての負担を押し付けてしまったことは心苦しかった。大学での4年間は改めて纏めてみたい。
40代の一番の悲しみは二番目の子が流産だったこと。あのような辛い思いは経験したことがなかったし、二度と経験したくない。

不安だらけの50代

高校を卒業して、あっという間に定年を考える年齢になった感じ。子供も順調に成長してくれて、今のところは大きな家庭問題が起こっていないことは配偶者の努力に感謝したい。自分のように40代や50代で親となった場合には、何とか定年まで働けても定年時には子供は中高生なので学費や自分たちの老後資金の悩みが尽きない。今後の大きな課題となるが、解決策が全然思い浮かばない。

人生の反省点

社会人になって痛感したのが人との関りを避けるメリットはあまりないこと。学生時代なら通用したが、社会人では通用しない。特に面倒な人との関りを避け続けると、精神的な負担は減るかもしれないが、社内での評価や昇進昇格に大きく響いてしまう。時間は戻せないが、やり直せるならここだけはやり直したい。

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